映画『十二人の死にたい子どもたち』

以下ネタバレを含みます。

 

まず結論から言えば、そこそこの出来だった。

事前に原作小説を読んでいたが、小説のほうがだいぶ出来が良かったろうと思う。

というのも、この映画、後半部分の脚本と音楽については、ほとんど絶望的だった。

音楽について言えば、彼らの話し合いが、あたかもリアルタイムであり、生死がかかっているのならもう少し緊迫感だって欲しかったのだが、あまりに劇的、というかドラマティックな音楽が、全体を「映画」的にしていた。この映画の売りは、もっとドキュメンタリーチックなところにあったんじゃないのか。

脚本に関して言えば、原作小説が「安楽死」もとい「自殺」について判断を保留するような形で終わっていたのに対して、この映画は「生きるって素晴らしい」とか「生まれてきて良かった」みたいな話に落ち着いていて、いや、そうじゃないだろう、という感じ。

このあたりの話は後回しにするとして、とりあえずキャスト。

 

おそらくオーディションで選ばれたのであろう人たちは、かなり好演していた印象。

そのほかにも、杉咲花なんかは、やはり、というか圧巻。かなり上手かった。

女性陣はとりあえず良いとして、男性陣。

新田真剣佑北村匠海はなんだったのか。結局人気のある俳優を入れてそれで興行収入を稼ぎたかったんだろうな、という感じ。

下手だった、という感じはしなかったし、卒なく役どころをこなしていた印象なのだが、その卒なさゆえに、彼らでなければならない理由も分からなかった。

その点で言えば、抜群にうまかったのは古川琴音だった。

ゴスロリ役なのだけれど、動きの一つ一つが説得力がある感じ。少し舌っ足らずなのは本人の問題なのだろうが、それが活きていたし(演技ならなお凄い)、途中の方言も良かった。

ダンボールを持ち直すときのシーンと、最後の挙手シーンの肘の角度。これはもうそれだけで見る価値がある。

何より彼女には、「死ぬ」という覚悟を決めた負のオーラがあった。その他のキャストに関しては、杉咲花を除いて、結局どうせ死なないんだろうな、という感じがするというか、まだ生きていたいんだろう、という感じがした。それじゃあこの映画の醍醐味は台無しだ。

橋本環奈と口論になるシーンがあったけれど、その迫力で言えば完全に古川琴音の勝ち。ほかのキャストを食っていた。

その他に気になったのは、セイゴ役の坂東龍汰だろうか。上手かった。上手かったけれど、その手のヤンキー役や飛び抜けて元気な役はそれほど難しくないので、それで補正がかかっているのかもしれない。

 

結局彼らが安楽死について話し合うんだけれど、よくよく考えるとこれって安楽死なのだろうか。いや、というかむしろ、自殺なんじゃなかろうか。

何が違うか、というと難しいところなんだけれど、何より安楽死の本丸とは、病気か何かで苦しんでいたり、あるいはもう余命がないというときに、それならば「死」を自己決定しようという話じゃないか。

つまり、生死にすら自己決定権は及ぶのか、というのを、人間性の観点と、そこから乖離した倫理の観点で考えよう、というのが安楽死の本丸だったはずで、「生きてるって素晴らしいからなんとか生きよう」みたいな結論は、まったくナンセンス。

それを中和する形で杉咲花演じるアンリが機能しているわけだけれど、原作小説ではそれがうまくいっていたのに、映画ではうまくいかなかった。

というのも、アンリが提議した「生まれたこと」自体に対する抗議というのを、あまりに甘く見すぎたんじゃなかろうか。

私たちは「死」についてはよくよく考えるが「生」について、つまり私たちが「生まれさせられた」のだという観点についてはあまり考えない。むしろそこを考えよう、というのがアンリの提案だった。

なのにそれが「生まれてきたから幸せも経験できた」って、それは全く同じ土俵には上がれていない。結局アンリも、そうやって大仰な理屈をつけているが、自分の環境に辟易しただけなんでしょう、みたいなのは、「安楽死」や「死」や「生」に迫ろうと思ったら、あまりに浅薄な議論。

というわけで、結構そこが詰められていなかったのに、今流行りの「安楽死」について考えました、みたいな顔をするのは、ちょっと詐欺の領域。

 

この映画の見所は、古川琴音の演技。彼女はまだデビューしたてだということで、この先別の役でどんな演技を見せるか、が気になるところ。頑張っていただきたいですね。