ドラマ「精霊の守り人」とは何だったのか。

NHKが制作したドラマ「精霊の守り人」が最終回を迎えた。3年に渡って、断続的にではあるものの放送が続けられたことを思うと、時間の流れる速さのようなものを思わずにはいられない。

さて、このドラマは日本においては初めてと言っていい、本格的なファンタジーを扱ったドラマだと言えるだろう。過去にも似たようにファンタジーに挑戦したドラマはあったのかもしれないが、しかしある一定のクオリティを満たしたのは、この作品がおそらく初めてであろう。

その評価は芳しかったようには思わない。しかし、私はこの挑戦を評価したいし、評価せねばならないと思う。

日本のドラマは、ここ数年、ありえないほどの凋落を見せてきた。もともと日本のドラマのクオリティがアメリカやイギリスや、あるいは韓国と比較したとしても優位であったことはないだろう。それが加速度的な落下を見せた。

その象徴的な事例が、例えば「THE LAST COP/ラストコップ」であり、「愛してたって、秘密はある。」であった。

「ラストコップ」のドラマ最終回は、生放送部分を多く含んでいた。最後の数分だけ、ということで言えば「PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜」や「恋仲」も似たようなことをしていたが、「ラストコップ」は断続的に半分近くが生放送であったように記憶している。しかしその結果、内輪ウケを重ね、ストーリーが分からなくなり、冗長なコントを見せられている風であった。

「愛してたって、秘密はある。」は決定的であった。あのドラマは、最終回だけでは釈然とせず、ドラマ中に張られた伏線などは、Huluで公開されることになっていた。それが意味するのはつまり、日本のテレビ局はテレビドラマを断念し、動画配信サービスに身売りしたのに違いないのだった。

そうした具合に日本のドラマは凋落してきた。ドラマは多く、もはや人気でもない漫画の映像化に勤しみ、あるいは話の中身が伴わないのにも関わらず、Twitterでのトレンド入りに勤しんだ。内容よりも話題性であり、クオリティよりも視聴率であった。

その中にあって、このドラマはNHKにしか出来なかったろう。

こうした物語は、時に、設定を説明することばかりに専心するものである。しかし、その説明はかなり省略されていたと思うし、必要なものもセリフの中に巧みに織り込まれるなどしていたろうと思う。例えば直近で言えば、野木亜紀子脚本の「アンナチュラル」にも似たような傾向がある。説明するのではなく、やはり「物語る」ために、いかにしてその準備を簡略化するか。あまりに簡略すると、見るものは見知らぬ土地に投げ込まれたように困惑してしまう。

さて、そうしたところを評価したところではあるが、一方、これを批判的に受け止める向きにも賛同は出来る。

というのも、このドラマの難点を挙げるとするならば、あまりに「画面がうるさかった」。CGがあるからこそその世界観が保たれる、その一方で、画面の情報量が多すぎ、日本のドラマの視聴者には難しかったのかもしれない。

かくいう私も、そういう側だ。代わり映えしない主人公のアパートの一室、おしゃれだがありふれた職場、そういうものを見慣れてきた。一方アメリカのドラマなどを見て、疲れてしまう人がいるとすれば、そのドラマでは情報量が多いからだろう。

今回のドラマは、確かにあまりに情報量が多かった。ただそれは日本というドラマ風土の中にあるものからかもしれない。だからこそ、あえて酷評するつもりはない。

日本のドラマが、こうした具合に、新たな挑戦を重ねながらやはり進歩してゆくことを望む、そして振り返ったとき、このドラマがその端緒であったのだとされることを祈る。