旧XOY系マンガ論序説

はじめに

スマホで読める無料マンガアプリ、と言えば、LINEマンガやcomicoが有名だが、そんな中にあって異色の漫画作品を連載してきたのが「XOY」というマンガアプリである。

実体はLINE(というかnaver)系で、一時期広瀬アリスがCMをやったりもしていたのだが、10月以後、XOY系のマンガは終了するか、LINEマンガへ移行することになってしまった。

このアプリで連載されていたマンガの特徴は元がnaver系であることも相まって、韓国系が多い。いわばマンガではなくmanhwa(マンファ)なわけだ。

それだけではない、このアプリでは(少なくとも確認した限りでは)全てのマンガが縦読みになる。この形式はcomicoなどにも見られるので、旧XOY系に特異、というわけではないのだが、LINEマンガは紙に印刷されるようなマンガをそのまま取り込んでいるので、スマホの画面では見づらいところもある。それに比べると縦にスライドするタイプは、コマ間の移動にリズムが感じにくい分慣れが必要なのだが、実はスマホではそちらが読みやすい、という面もある。

そんなXOYで連載されていたマンガについて、それぞれ短く面白さを語ってみたいと思う。タイトルについては「○○論序説」という言葉を使ってみたかっただけなので、さほど意味はない。

「外見至上主義」(T.Jun)

描いているのは韓国の方で、タイトル通り、韓国社会における見た目重視の考え方、Lookismに題をとった作品。主人公は長谷川蛍介。ブサイクだといじめられていたのだが、何とか高校は遠くの高校に通い、心機一転を図る。それを機に彼は寝ている間、モデル体型のイケメンに魂が入れ替わってしまい、昼はイケメンとして高校に通い、夜はブサイクとしてコンビニバイトをする生活を送る。

外見によって態度が大きく変わる周囲の人々は胸糞悪いが、そんななかにも友情が垣間見えたりする。バイオレンスは要素もあって、時々目も当てられないほどひどいいじめの描写などもある。

物語の構造としては、蛍介がイケメンとしてちやほやされ、少し浮かれ、ブサイクに戻っていじめられたと思ったら、少し優しくされて「やっぱり顔じゃないんだ、自分の心構えの問題なんだ」みたいに気づいたりする、のを何度も繰り返す。

物語全体の展開が冗長、という側面も確かにあって、森永というキャラがいじめられているシーンは何週間にも渡って救いようのないシーンが描かれた。救いようがないのはいじめっ子ではなくて、いじめられっ子である森永の方。彼が出ることで「ブサイクは心が優しい」というような反発も回避している。

この作品の面白さは、体が入れ替わり、イケメンがいかに優遇されているかを経験した主人公・蛍介が、ブサイクの体に戻ってどのように過ごすか、というところに尽きる。日本であれば「外見なんて関係ない」と処理してしまいがちなLookismを、あえて厳然として存在するもの、と捉えた上で、それを否定も肯定もせず、そのなかで自分自身のあり方を問いかけるストーリーになっているのだ。

「私は整形美人」(メンギ)

実はこの作品は連載終了してしまっているのだが、とにかく面白い。個人的には「外見至上主義」よりも面白いのではないかと思う。

主人公の片桐美玲は大学入学と同時に、自分の顔面を整形して臨む。大学デビューには成功するのだが、ブサイクだったことによる卑屈さが手伝って、なかなか正直に感情を表現できない。

そこに登場するのが穂波。こちらは生まれつきの天然美人で幸せに生きてきた……かに思えるのだがそこには裏がある。これは作品の終盤なのであえて詳しくは言うまい。

この2人が好意を向けるのが坂口慧でかなりのイケメンなのだが、当初から美玲に興味を抱いている様子。絶対に両想いなのに当人がそれに気が付かないでもどかしい、というのは『君に届け』以来の鉄板。

好ましいのは主人公の美玲が調香師を目指している、という設定。ただ顔面が良くなれば良いわけじゃなくて、ブサイクだったころに助けられた香水から確固たる自分を持っている。

「外見至上主義」には高校ならではのLookismがあったが、「私は整形美人」にはこの作品なりのLookismがある。特に大学の学祭か何かで、女を売るような接客をさせられるシーンなどはそのリアリティにはらわたが煮えくり返る思いだった(それがどう展開したかはそれぞれでご確認いただきたい)。

やっぱりこの作品の良さも「顔面の良し悪しなんて関係ない」的な思考を廃し、整形し、新たに生まれ変わった美玲を肯定するところに魅力があると思う。

「女神降臨」(yaongyi)

これは面白い。というか、まず絵が圧倒的に上手い。上記2作と同じでLookismを取り扱った作品なのだが、主人公はメイク術で美人──もとい〝女神〟の評価を得た谷川麗奈。そんな彼女が過ごす学生生活の話だ。

上記2作品がシリアスな場面もあるのに比べて、「女神降臨」はコメディ要素が豊富で、クスッとしたりニンマリしたり。何より谷川麗奈という主人公のキャラクターが面白いのだと思う。

勉強が出来ない、だとか、将来何になろう、だとか、当たり前に悩む話が「メイク」というところに彩られて面白くなる。そこには恋の予感もあるわけだが、その展開が面白い。先ほどの「私は整形美人」のように、両思いだろうになかなか通じない想い、みたいなもどかしさはあるわけだが、そのもどかしさがイライラするというより、一種滑稽で笑ってしまう。

映画『ビューティーインサイド

XOY系のマンファを離れて、上記3作品に共通するLookismというキーワードを手掛かりに、『ビューティーインサイド』を紹介したい。

キム・ウジンはある日から毎朝目覚めるたびに、老若男女を問わず外見が変わってしまうようになり、人と会わずに済む家具職人をやっていた。そんなキム・ウジンはホン・イスに恋し、アプローチするのだが、という話。

大抵韓ドラを見て気になった俳優を検索すると、この映画でキム・ウジン役をやっていることが多い。日本語版のWikipediaを見る限り、キム・ウジン役は23人いるらしい。日本からだと上野樹里もキム・ウジン役で出ている。

ホン・イスに好かれようと、たまたま朝起きてイケメンだった日、寝るとその容姿が変わってしまうので、寝ないようにホン・イスにアプローチするシーンなどは感慨を覚えずにはいられない。

物語の本質は「人を好きになること」それ自体を問いかけることであり、「人を見る」ということの意味なのだと思うが、そこにはほのかにLookismを感じ取ることができる。もちろん、キム・ウジンが朝起きると女性になっている日もある、という点で同性愛を擁護するような意味合いも読みとれなくはないが、それも「人を見る」「人を好きになる」というところの一部に過ぎないだろうと思う。

アンタッチャブル」(ZINI)

主人公の久遠咲良は「人の精気を吸う」というバンパイア。まさに天職ともいえるモデルで、一緒に撮影する男性から精気を吸い取ったりするのだが、偶然出会ったイケメン・新条蓮の精気の魅力に取りつかれ、新条にアプローチしていく、というストーリー。

バンパイアもの、と言えば、ここ数年では『トワイライト』シリーズが思い浮かぶところだ。今後しばらく全ての魔法ものが『ハリー・ポッター』シリーズの影響下にあることが容易に予測されるように、今後しばらくバンパイアものは『トワイライト』シリーズの影響を受けずにはいられないだろうと思う。

そんな中にあって、「血を吸わない」「女性の」バンパイアという設定はかなり面白い。(女性のバンパイアは『トワイライト』にも出て来るが、ヒロイン(『トワイライト』で言えばベラ)がバンパイアというのはかなり珍しい)

この作品を面白くしているのは「ボディタッチ」という要素だと思う。なぜか分からないが韓国ドラマなどを見ていると「スキンシップ」が大きな意味合いを持っていることが分かるのだが、この作品でも「肌に触れないと精気を吸い取れない」という設定が物語をよりややこしく、そして面白くしている。

精密に分析すると案外簡単に打ちのめされてしまうかもしれないが、実はこの咲良と新条を奪い合うことになるのは男性で、このあたり、もしかするとホモソーシャルを排除することに成功した三角関係を構想できるのかもしれない(し、新たな疑似的な「ホモソーシャル」が構造されるだけなのかもしれない)。

「私のアイドル」(HOY)

主人公の千賀宇奈はアイドルのファン。そのアイドル・橋本拓海が社長を務める会社に就職することに成功するのだが、社長は別の男性に交代しており、元の社長は名誉職の座に収まっていた。

今の社長・千佳良強は、千賀宇奈が「社長目当て」であることから勘違いして、千賀が自分のことを好きなのではないかと誤解するところが面白い。そのすれ違いが、殆んどアンジャッシュのすれ違いコントみたいに展開するのだが、特段不自然さは感じない。

もう少しネタバレをお許しいただければ、この千賀は実は晴れて橋本拓海と付き合うことに成功する。本来であれば「橋本拓海とかいう男、千賀を弄んでいるんだな」と思ってしまいがちなのだが、そうではないらしいことに気が付く。ただこの橋本拓海が人気アイドルであることが災いして、ある女芸能人が拓海と付き合っていると言いふらし、千賀をストーカー呼ばわりするところから物語は混迷を極める。

「拓海も拓海だが、千賀も千賀」みたいな感じで、典型的な三角関係ではあるものの、主人公の意思がはっきりと拓海の方に向いているのだから面白い。おそらく今後社長(強)と良い感じになるのだろうが、今のところそんな雰囲気は微塵も感じられない。展開が楽しみな作品だ。

「君とのツナガリ」(ちーにょ)

こちらはインディーズっぽいというか、とても本にするのに耐えうるクオリティではないのだが、一応面白い。

主人公は美月という女子高生。典型的な「幼馴染と再会して恋愛」系なのだが、大抵そういう作品にあるしっちゃかめっちゃかな女同士の争いがない。というか、その萌芽は見られるのだが、そういう争いの芽を駿が片っ端から摘んでいくので、「ああ、美月はこのまま駿と付き合うんだろうなあ」という疑念が揺らぐことは一瞬もない。

多分作者自身が美月と駿というカップルを好きすぎるが故に、それを揺るがせるような大事件を描けないのだろう。だからこそ、一般的な恋愛漫画にあるようなハラハラドキドキ感には欠けるが、むしろそういうのが苦手な人からすると面白いのかもしれない。

「偽装不倫」(東村アキコ

さやわかと大井昌和が「東村アキコはダメ」という話をしたという噂が飛び込んできたのだが、個人的にはどこが「ダメ」なのかよく分からない。この作品は飛びぬけて面白いわけではないにしろ、普通に面白いと思う。

主人公・鐘子は独身女性。姉の結婚指輪をひょんなことからはめたまま韓国旅行に出向き、そこでジョバンヒという好青年と出会い、既婚者を装ってしまう。

ここから分かる通り宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にモチーフを得て名前が付けられたり、それにちなんで物語が展開したりしているようなのだが、なにせお恥ずかしながら『銀河鉄道の夜』を読んだことがないもので、よく分からない。

ただ世間が「不倫」で騒ぐなか、あえて「偽装結婚」ではなく不倫を偽装し「偽装不倫」をしてしまうところが面白いわけだ。このジョバンヒというのが、どうやら何らかの病気で寿命がそう長くないらしい、みたいな『僕の初恋をキミに捧ぐ』的展開もあるわけだが、これも大してこの「偽装不倫」というテーマを邪魔せずに機能していると思う。

と、書きながらふと思ったのだが、もしかするとこれ、面白くないのかもしれない。

「水の中の1分」(bubu)

はっきり言おう。面白くない。

内容よりコメント欄の方が面白い、との評を得る本作。ただ作者の方が東南アジア系の人らしく、もしかすると発展途上国ではこういう恋愛が好まれるのかもしれない、とも思った。というのも日本での高度経済成長期やバブルの頃を彷彿とさせるような展開に思えないこともないからだ。

主人公の女性は(名前を出すのもめんどくさい)、自分が可愛いということにうぬぼれている節がある。水が苦手で海に行くか何かで水泳教室に通うことになり、そこのコーチと恋愛することになる。だから「水の中の1分」なのだが、実際その後水泳することはほとんどなくなる。

水泳教室だというのにきわどいビキニで来て「それじゃ練習できません」的な展開があって、もうほとんどカオス。

挙句の果てにヒロインの母親が出てきて、コーチに向かって「あなたは自分に自信がない。それじゃ娘は守れない」と説教を垂れる始末。

うーん、救いようがない。

ただ、そういうのをメタ的に楽しむ、という楽しみ方もできるので、読んでほしい作品ではある。