北条裕子「美しい顔」

群像 2018年 06 月号 [雑誌]

群像 2018年 06 月号 [雑誌]

 

 大変に申し訳ない。いや、本作についてはこちらの記事で紹介したのだが、かなりセンチな感じが出ていて、実は記事の半分以上は自分の震災体験を語っていて、芥川賞の候補作になったのを見てやってきた人にはかなり幻滅されただろうと思う。

なのでその贖罪として、できる限りの形で本作について精密に考察してみたい。

「敗北宣告」としての「震災文学」

60年の安保闘争ベトナム戦争キューバ危機、2001年9月11日の同時多発テロ。そうした具合に、何らかの大きな出来事が文学に影響を与え、それ「以前」とそれ「以後」によって切り分けられるというのは割に見られる現象である。

そして2011年3月11日の東日本大震災は、その「断絶」としてはあまりに甚大な被害をもたらした。あの時すべての日本人は、「被災者」か「助力者」か「傍観者」に属し、悼む間もなく流れてくる巨大な死者数を理解し、そして次いで起こった原発事故を理解するのに精一杯だった。

我々は「被災者」を傍観した。テレビや新聞では絶望に打ちひしがれた「被災者」と、未来に希望を抱く「被災者」を交互に「傍観」し、そして「消費」した。

なぜ私はお前なんかに見せてやらなければならない。なぜお前なんかにサービスしてやらなきゃならない。なぜ私がお前なんかを気持ちよくさせてやらなければならない。プロカメラマンになったような気持ちよさを、なぜお前なんかにくれてやらなければならない。かわいそうに撮るなら金を払え。かわいそうが欲しいなら金を払え。被災地は撮ってもタダか。この男も、マスコミも、きっとそうだ。みんな金を払え。

我々は2011年3月11日に何を得たのか。「被災者」はたくさんのものを失った。しかし「傍観者」は「大震災」というエンターテインメントを手に入れ、その無償の娯楽を消費していた。

しかしこの小説は何を描くのか。「傍観者」がカタルシスとして震災を消化したことを批判したいのでも、「助力者」顔した人間が「マスターベーション」するが如き様子だったことを暴きたいのでもない。これは「被災者」を我々が「美しい」ものとした「ヒサイシャ」から引き剥がす、痛みを伴う除去手術であり、その結果我々にもたらされたのは希望ではなく絶望である。

 これから、いくどもいくども日常との戦いに敗れ、敗れて敗れて、もうこれ以上負ければ駄目だと思いながらも負け続け、しかしやはり負け続ける以外に生きていく術がなく、それに気がついては絶望するのだろう。(中略)そして、結局自分は成長できはしない、あの日のまま時間が止まってしまったんだと泣き、悪態をつき、蹴散らして、数え切れないほど自分を卑しみ、途方に暮れるのだと思う。そうしながらいくども三月十一日を迎え、そうしているうちに母の年齢に近づいたり追い越したりするのだろう。

我々はもうこの震災に勝つことはできない。そして「被災者」はきっと勝つことはできない。何に? あるいはそれは「美しい顔」かもしれない。

「美しい顔」とは、母の顔である。〈私〉は母に勝つことができない。

これは誰かを失った「被災者」への「敗北宣告」であると同時に、それをエンターテインメントとして消費した「傍観者」への「敗北宣告」でもある。それは、この小説を与えられた我々が、今後震災をエンターテインメントとして消費し得ないという点からも明らかである。

「商品」としての「被災者」〈私〉

物語は、十七の少女サナエ〈私〉からの視点で語られる。それ以外の登場人物はそれほど大きな位置を占めないと言っていい。父を小学六年生で亡くし、母と弟の三人家族でいた〈私〉にとって弟ヒロノリは大切な存在のはずだが、避難所のS体育館にあって〈私〉はいつもヒロノリのそばにいるわけではない。

 ヒロノリはしだいに私の目につかないところで過ごす時間が増えていった。どこかへ出掛けていき、日が暮れるまで帰ってこない。私はそのことに早くから気がついていた。私がサービス業務に精を出せば出すほど、遅くまで戻らなくなった。私は弟に自分のしていることを見られたくなかった。私の華やいだ顔を見られたくなかった。外に行ってたくさん友達を作って馬鹿みたいに遊んでいてくれればいいと思っていた。豪快に遊び、疲れ果てて帰ってくればいいと思っていた。ずっとそうしていてくれたらいいと祈るように思っていた。

〈私〉がヒロノリを嫌っている、というようなわけではない。しかしマスコミ相手に(否、もっぱらカメラを相手に)「ヒサイシャ」であることを提供している姿をヒロノリに見せられたくはない。だからこそ、〈私〉が「被災者」としてカメラに振る舞えば振舞うほど、弟の存在感は作品から薄くなっていき、「被災者」としての振る舞いをやめれば弟との距離は詰まる。

〈私〉がカメラに健気な少女を提供するのは、〈私〉が母の死と向き合うことができないからだ。それは、母の生死が判然としない中カメラにサービス精神を発揮していた後、母の死を知ったはずなのにそれを終えられない点にも現れている。

では、その「サービス精神」の本質とは何か。石原千秋氏が産経新聞文芸時評に寄せたコメントはそうした点でかなりユニークで面白い。

 いま、僕は北条裕子のポートレートをパラテクストとして見ている。だからわかることがある。これは極めつけのフェミニズム小説なのだ。「北条裕子」は、何を言っても何をやってもその「美しい顔」によって意味づけられてきたにちがいない。たとえば、悪意さえも。「北条裕子」は、それを「美しい顔」の内側からずっと見てきた。これが、震災報道に関して言う「なにか得体の知れない不快なもの」の正体にちがいない。これは本人さえも知らないことだろう。それでいて、「北条裕子」のポートレートは「私を買ってください」と言ってはいないだろうか。一人称とはそういうものだし、作家とはそういうものだ。

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文学というものが、いや、凡そ芸術というものが何かしらの精神の発露として存立し続ける限り、一人称小説でその主人公に作家が一つも投影されていないなんてことはありえない。

〈私〉に北条裕子氏は投影されているだろう。しかしそれは「投影しない」という形で「投影されている」かもしれない。もしかするとこの作品は、震災に対して「傍観者」でしかあり得なかった彼女自身が「被災者」の絶望を期待しているのかもしれない。そしてその彼女には石原千秋曰く「美しい顔」が与えられている。

〈私〉は「被災者」としての「顔」を「傍観者」に提供する。北条裕子氏はそれを著した者としての「(美しい)顔」を「読者」に提供する。

なおこの際、〈私〉は東京から見れば周縁のサバルタンであり、東京に迎合する言葉でしか語りえないという点は長々と指摘するまでもない。この東京に迎合した言葉は東京で「被災地の今を伝える」的に編集され「代弁」される。その意気込みへの本質的な嫌悪感は、冒頭部のボランティアカメラマンへの嫌悪感に描き出されている。

マルクスは人間の労働が不当に搾取されていることを明らかにした。そしてイヴ・K・セジウィックは、ホモソーシャルな男性社会において女性が商品として取り扱われてきたことを明らかにした。

この小説は「被災者」を「商品」として取り扱った「傍観者」を「告発しない」という形で「告発する」。

その時思い起こすのは「美しい顔」というだけで女性を「意味づけ」てきた男性の歴史である。この点は選評において多和田葉子氏によっても指摘されている。

主人公は美人であるという設定で、被害者の商品化と女性美の商品化というテーマが重ねられる。自分の顔が「復興」という大きな物語に使われていくことに抗議する声は、作品内で反復され強まっていく。

「震災後」のために

太平洋戦争はどうであろうか。太平洋戦争が横たわる日本の歴史は、間違いなく「戦前」「戦後」の二つに、あるいはそこに「戦中」を加えた形での三つに分類できる。

「加害者」としての日本を正当化することなど許されず、戦争モノといえば中央権力から離れた場所にいる無力な「被害者」を描くしかできなかった。

しかし東日本大震災はどうか。

そこには「被害者」の姿しかない。

津波で家族が流されて。原発のせいで引越ししなくてはならなくなって。電力不足だというので計画停電で。

そして我々は、きっとそういう「被害者」の姿を複製し続ける。創造し続ける。

毎年3月11日には記念番組が放送され、津波の映像を流し、東北の人々が出てきて当時のことを語り、その後建てられた新しい家、その後生まれた新しい命が映し出される。それを見て我々は震災を「消費」し続ける。

しかし、この小説が、「美しい顔」が、少なくとも群像新人文学賞受賞作として、あるいは芥川賞候補作として名を残す限り、「震災後文学」はそれを許さない。

我々は「震災」の商品化と、それをカタルシスにすることを、この、ただ絶望の迫力が迫り来るこの小説によって禁じられたのだ。

*1:文芸時評】6月号 早稲田大学教授・石原千秋 被災描くフェミニズム小説(1/2ページ) - 産経ニュース