筒井康隆『文学部唯野教授』

 

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

 

かつてそれなりにヒットを飛ばした作品らしいが、それも納得であった。全9講を2講ずつ、5日かけて読もうと思っていたものが、面白さから思わず3日で読み終えてしまった。

きっかけは、この本が紹介されがちな「文芸批評理論の基本が分かる」というようなところに惹かれたのだが、実際にはそればかりではない。また、どこかで「所々入る理論の概説が邪魔」などということを書いている人もいたが、もちろんもっての外だろう。

この物語自体は、デフォルメされた大学におけるすったもんだと、唯野教授のふざけつつも本質に迫るような講義が、違和感なく、それも同じ章(講)に同居しているからこそ、「唯野の話を聞いてやろう」と思うのであり、「唯野はふざけた口調の中年ではない」と分かる。

現在の大学が、これほど愉快な場所だとは到底思えない。科研費が貰えただの貰えていないだの、官僚の天下りだの何だの。ある意味で「懐かしいかの頃」を──実際には経験したことが無いのだが──思い出させてくれる ようである。

作中に幾度となく登場する「エイズ」については、そこにある種の差別的な志向があるのは間違いないだろうと思う。感染経路や症状などについて著しく無理解だが、そこについて指摘することはおそらく意味をなさない。そういう、ポリティカルコレクトネス的な修正は作者が意図したところを逃してしまいかねないだろうと思う。ポスコロ批評なりフェミニズム批評は、作者すら意図しないような内面のイデオロギーを暴き出す意味はあるかもしれないが、この作中における「エイズ」表象は明らかに意図的に描かれているわけだし、ここを指摘して鼻高々に振舞うのは適切ではないだろう。

大学内の力学に奔走し、親友のために奔走し、愛する人のために奔走し。その奔走すら、軽やかな文体と唯野自身の語り口によってテンポよく進む。挟まれる講義すらその調子だから、難しい話もすんなりと入ってくる。

彼がなぜそこまで過敏に生きるのかについて、一見滑稽だとの感想を抱いてしまうが、彼が本当に志す野望について分かったとき、そうとばかりも言っていられない。その野望については途中、まま言及されて、第9講のポスト構造主義になってついに明らかにされる。そこまで知ったとき、必ずしも唯野教授を権力欲の塊の中身がない学者だと決めつけるのは誤りだと分かる(実際には他大学の非常勤で「文芸批評理論」の講義をやりたいという意欲の時点で推して知るべきところなのだろうが)。

何より、この本に収録されている唯野教授の講義が、永遠に前期を繰り返すことが悔やまれてならない。最後には「フェミニズム批評」や「精神分析批評」や、唯野教授自身の考える批評について後期で語ることが言明されているのに、それを読むことはできない。それが大変悔しくなってくるのである。